2015年11月15日

続 さやけき生命(1)

 引っ掛(かか)らず生きてゆくということは
非常にむつかしいんですね。何もうまく
ゆかないとか、どうしたらうまくゆくだろうとか、
そういうことばかり考えるように人間というのは
出来てる。というか、そういう想いの習慣で来て
しまっている。そうですね。ところが、神様の
世界の中では、うまくゆくもゆかないも、
ちゃんともう備わっていて、そのままゆくように
なっているんですよ。人間の方が、
あれやこれや思い悩んで、奥のものを見る
ということがだんだんなくなって来てる。

 そういう習慣をつけるということが、昔は
あったんだけれど、今は少なくなって来た。
 そういうことで、なんかこう静か心という
ものが無くなって来た。静かに自分の
裡(うち)を省(かえり)みるとか、自分という
存在は何だろうというようなことを見つめる
ことが、少なくなって来てるんですね。
 ところが、そういうことが、人間の生命を
養うんです。つまり、祈りというものが人間の
生命を養ってゆく。静かに自分を省みて、
静かに目を閉じてみる。そういう時間が
本当は自分を養ってゆく。

 ところが今世の中はせわしくなっていて、
セカセカ動いている。セカセカ動かないと、
自分が置いて行かれるようなスピードで
皆んなが動いているものだから、自分も
動かないと置いて行かれると感じる。その
繰り返しで、追い付け追い越せですよね。
 ところが、神様の世界というのは、何もしなく
ても必要なものは全部与えてもらえる。
 その代わりに何が一番必要かというと、神様に
向かって素直に神様よろしくお願いしますという
心、それが一番必要なことになる訳です。
               (翌日へ続く)
posted by spacelight at 09:41| 祈り | 更新情報をチェックする