2015年11月18日

続 さやけき生命(4)

       (前日から続く)
 今の人達というのは、みんな派手めに動く、
オーバーに動く。今の言葉で言うと
パフォーマンスをする。パフォーマンスを
した方が何か勝ちみたいなことになっているん
だけれど、ところが真理というのは、それは
動かないものです。
 真理とは静かなもので本質そのものです。本質
というのは神様から流れて来ているものです。
 その神様は何を流しているかというと、人間に
対する愛情、愛念を流している。
 だからといってそれを大げさに受けとる必要も
なく、素直に喜ぶのはいいが、大げさな関係が
人間と神様の関係でもないのです。真理という
ものは飾らないし、愛というものも飾らないし、
愛というのはどこから見ても愛です。もう表も
裏も無くて、ただ愛なんです。表は愛だけど
裏はウラミツラミだというのは、これは愛じゃ
ない。どこをどう探したってつついたって愛
そのもの、それが神様から流れて来ている
愛ですよ。何の引っ掛(かか)りもない、何も
責めるところも裁くところもない。
              (翌日へ続く)
posted by spacelight at 09:08| 祈り | 更新情報をチェックする

2015年11月17日

続 さやけき生命(3)

      (前日から続く)
 こういう誠心とか祈り心とか静か心
というものは、目に見えるようで見えない。
 その人がいくら信心深く装(よそお)って
いても、外から見てすごいなあと思っていても、
私達がこちらから見ているとですね、
すごい虚栄がある人だねと見てしまうことが
ありますよ。
 そうすると、ほかの人はごまかせるけれど、
神様はごまかせない。
 ふりをすることはいくらでも出来るけれども、
ふりが通らないのが神様です。
 神様というのは、例えば、何十万も何百万も
お布施を上げないと、こちらに光を送って
もらえない、振り向いてもらえないとか、そんな
ものじゃないんですね。何故かというと、我々
みんな神様から分かれて来た生命なんだから、
その元に向かって自分が動いてゆく、
働いてゆく。そこに向かって素直に語りかけて
ゆく。そういうところを神様は喜ばれる。
 「愛(う)い奴じゃ」てな感じでね。
 ところが、そういうことというのは、さき程
申しましたように、本当に目に見えない地味な
ことなんですね。
            (翌日へ続く)
posted by spacelight at 06:23| 祈り | 更新情報をチェックする

2015年11月16日

続 さやけき生命(2)

       (前日から続く)
 この一番必要なものというのは、イエスも
“なくてかなわぬものは一つだけだ”と
言いましたけれども、あのマルタとマリアの話の
中で、妹のマリアは、イエスが来た時にじっと
座って、イエスの話ばかり聞いていて、姉の
マルタは、一生懸命イエスをもてなそうと色々
用意していて話も聞けない、それでマルタが
イエスに訴える場面がありますが、そこで
イエスが言ったのは、マルタよマルタよ、
そんなに心を騒がせないがいい、なくてかなわぬ
ものはただ一つだ。マリアはそのよい方を
選んだのだと。これをそのままにとったらね、
マルタは無駄働きをしているように思うけれど、
そうではなくて、そのせわしく人間が
追い求めてるものが必ずしも全部人間に必要な
ものじゃなくて、本当に静かなものというのが
人間を養う。その人間を養う静かなるもの、
なくてかなわぬもの、つまり、神様に向かっての
誠心が私達の生命を養っているものだという
ことなんです。これこそが、自分達の
生きる元です。
             (翌日へ続く)
posted by spacelight at 09:50| 祈り | 更新情報をチェックする