2015年10月24日

老人の生き方について

 (問)老人の生き方についてお尋ねします。


 (答)この頃は、若い人があんまり長く
生きたくないとか言う人が多いですよ。
誰かさんもどこかでそんなことを言ってた
けれども、何で生きたくないかというと、
どこかでね老醜を晒すという恐怖、それから、
体が弱くなってくるという、それを認めて
いかなくてはならないでしょう。老いる
ということはそういうことですよね。

 老いるということは、体力的な気力的な
ものの衰えというものを認めてゆかなければ
ならない。つまり、記憶もなんか悪くなって
きたとか、そういうマイナスの部分を認めて
ゆかなければいけない。だから切なさとの
戦いですよね。本当にそうなんです。60に
なったら60になった途端全部忘れて
しまっちゃって、今聞いたこと全部
忘れちゃって、又最初から読まなけりゃ
ならない、人の話も又最初から聞かなけりゃ
分からないというようになるんですよ。
本当にそうなるんですよ。70になったら
もっとひどくなるんですよ。皆そうなんです。
で、その一つ一つがね、自分にとって
恐怖なんですよ。

 又、老いると、人を容れるという寛容の
心が失せてしまう訳で、その寛容でなくなる
というのは、これはその人の性格という
よりも、その人の生きて来た年令がもたらす
生理的なもので我慢できない。気を長く
しようと思っても、その人のその時の体力
とか生活状態とか色んなことで、生理的に
もう我慢ができなくなって人を怒鳴っちゃう
とかね、そういうことがあるんです。
そういうものが正しく自分自身である
という風に、ある一瞬間でも見なければ
ならない。それが随分辛いんですよね。
それが恐怖になってゆくんです。それは
60に70になった人が恐怖だというよりも、
20代でも30代でも40代でもですね、
ああこの辺が我慢できなくなっているなって
いうことになると、人間って愕然となる
ものですよね。結局のところそのあたりの
ことなんですよね。
それでは、生きてゆく限り皆老人になって
いく訳ですから、老いていくということを
どういう風に考えて生きて行くか
ということはこれは永遠の課題なんです。
けれどね、生きるということは結局、
生かされているということなんですよね。
自分が生きるというよりも万物に
生かされているというね、その生かされて
いるところへ自分の意識をもっていくと、
それが全部感謝に変わっていく筈なんですね。
祈りによって感謝になってゆく。とても
感謝しきれない事もあります。悔しい事も
情ない事も生きている内に色々ありますよね。
ただ感謝しなけりゃいけない、いけない
いけないと思って、無理に感謝していくと
今度は病気になりますよね。ですから、私が
そのまま悔しい事悲しい事をお祈りの中へ
入れなさいと言うのはね、ありがとう
ございますと言うのが言い難い、言い
難ければ、それはそのままで、五井先生
お願いします神様お願いしますと言えば、
守護の神霊がそのまま祈って下さる
訳ですから。

 若い時には、あの祈りは大調和の
祈りですから、ああいいなあと思っている。
ところが、歳を重ねる毎に、あの祈りは
難しいなあと思う筈なんですよ。つまり、
すべてにありがとうございますでしょう、
ありがとうございますどころじゃない
気持ちの人達がね、世の中に一杯
いるんですよ。嫁と喧嘩をしている、
息子とうまくいかない、孫が自分と離れて
いく、子供が自分の思うような方向に
いかないと、自分が生きて来た人生は
何だったろうと思う時にね、ありがとう
ございますとはなかなか言えない訳でね、
そのありがとうございますと言えない部分が
増えてゆく訳ですね。だけれども、それが
何故そうなってゆくかというと、その人が
生きて段々歳を重ねていって、人生
というのは一面から観れば、喜びや楽しみ
よりも何か寂しさと悲しみの方が多いという
ことを、自分の経験で知っていく訳ですよね。
ですから、その経験で計る以上は、何となく
虚しい寂しいのそっちの方が勝って、なかなか
ありがとうございますと言えなくなるんです。

 ですけれども、そこでじゃあどうしたら
いいのかというと、それでも生命というのは
生きる事を止めないという、その事実
なんですよね。みんな生命というものは、
一つとして、この人の生命は要らない、この
草木の生命は要らない、この大地の地球霊王の
生命は要らないというものは何一つとして
ないんですよ。神様の目から観ると。
この人は悠揚で尊い高い魂だから、
こういう人には生きててもらわないと、
優れた人を見ると皆そう思いますよね。
ですけれども、黙って意見も言わない
ような、居るか居ないか分からないような
人を見ていると、なんか尊敬する気にも
なれないし、その人が何十年も生きていると、
何をうすぼんやり生きているんだろうと、
別に残酷な意味ではなくても皆思うんですよ。
ところがね、こっち側から観ていますと、
さっきの話の続きじゃないけれど、やっぱり
誰一人として神様の光を出さない人間なんて
いないんですよね。そういう人程ね、つまり、
何も主張せずぼんやり生きているように
見えるけれども、その中の火は燃えている
というような人、その人程本当に素直に
生かされている、生命のままに流れのままに
生きるということになるんです。

 老人が生きるのが何で難しいかというと、
そこの所に鋭さが鈍くなっていませんとね、
自分の経験によって生きて来た世界によって、
虚しさの方が多いじゃないかと観てしまい
ますからね、そこで負けてしまうんです。その
自分の経験の中に引き込まれちゃうんです。
で、それを跳ね返す力が弱くなるん
ですよね。ところが老人というのは、人間世界
から観た年令のことであって、これが魂の側
から観れば、魂の古い新しいはありますが、
しかし、生まれてくる生命の中には古い新しい
というものは無い訳です。みんな同じ資質
といいますかね、神の性といいますか、違いは
ありますが、そういうものを持って生まれて
来ているんですよ。だから、この世的に
60になろうが70になろうが、その人の魂が、
やっぱり自分は生かされてる、体が動かなく
ても、何かしたい何かやりたい何か役に
立ちたいという風に思っている限りは、
その人の魂は若いんですよ。ただ非常に
難しいのは、老人というのは、我というのが
強くなるんですよね、自分の生きて来た
経験ではこうだからこうじゃないか、これは
間違っている、これはおかしい
と思うんですよ。無理はないんですけれど
そうなんです。

 それがね、それが人間の我だって気づいて
それを直してゆくということは、なかなか
難しいんですよ。それが凝り固まってゆくと
意固地になり頑固になり、喧嘩ばかり
しているというようになる。そこに、
自分一人じゃない、自分は生かされている
という想いがあるということになってくれば、
自分だけの世界に閉じこもらないで、
歳とっても、もっと広い神様仏様の光の
世界があるということになってくれば、
本当に生命が朗らかになってくるんですよ。
だから何も宗教だけがいい訳じゃないん
です。広い意味で、いい音楽を聴いても
いい絵を観ても、いい本を観て感激する感動
するということは、それだけ心が若くなって
心寛やかになってくる。それは宗教と同じ、
根は同じなんですよ。

 皆さん縁あって白光を知り五井先生という
人に出会って、そこから神様という階段を
昇り始めた人達というのは、それで尚かつ
歳をとっている人というのは、何に気をつけ
なければいけないかというと、自分が素直に
なるって事と我を出すっていう事の違い。
そこを区別してゆくのはとても難しい
けれどね。素直になるというのは、ただ単に
自分の思うように生きたらいいというもん
じゃないんです。これは若い時から気をつけ
なければいけないんだけど、思うように
そのまま生きていったら皆我が儘に
なるんですよ。

 神様の流れのままに生きるということは、
私はよく書きますけれど、その神様から来る
流れの中では色んなものがあるんです。
調和しているものもあれば、一見して
不調和のものもある訳です。大波小波も
ある訳なんです。だから、流れのままに
生きる事は、その大波小波に覚悟して
いけますよという、そういう事なんですよ。
そこの所を間違えて、いい事ばかり解釈
していると、悪いとみえるような事があった
時に、何で神様がいるんだろう、何で仏様が
いるんだろうになっちゃうんです。ところが、
その流れというのは、本質的には人間を
良くしよう、もっと調和させてやろうという
神様の心ですからね。それに本当に
乗っかって任せきっていればですね、必ず
光も送るし、必ず道が開けるんですよ。
そこの所で、ああ本当に私は生かされて
いる、本当に祈りがある、本当にここで
任せて任せて任せ切っていったら、自分の
生命が開くんだっていう風に信じ切って
下さればね、そこで人間の持っている老人の
持っている我なんて、ふっ飛んじゃうん
ですよね。70幾つの人が生きてる、
60幾つの人が生きてるというよりも、
その人の天命自身が輝くんですよ。

 ですから、素直になるっていうのはね、
あくまで神様に素直になるという事
であって、自分の我がでてくるという事
じゃないですよね。ただそれだけに私生活が
非常に難しい。だから、自分が非常に腹が
立ったり切なかったりした、そういう
気持ちを味わった時に、まてよこれは私の我
なのかなあ、それとも神様から来ている
流れの中で覚悟しろということなのかなあ、
ということを考えながら、世界人類が平和で
ありますようにとやってゆくと、お祈りの
中にこめられてる愛念がですね、そりゃあ
お前さん我だよとか、そうじゃない、
そりゃあ神様の流れなんだから覚悟して
受けなさいって事は、後ろが教えて
くれますよ。自分が考える事じゃない
ですよね。後ろが教えてくれますから、
自分が想い悩み始めたなと思ったら、
とに角、祈って、五井先生に聞いて神様に
聞いて、これどっちなんでしょうと、
こっちに預けてくれたらですね、こっちが
ものすごく知らせやすいんです。

 それを皆預けきらないものだから、これは
どうなんだろうか、ああなんだろうかと
想い悩んで、あれはおかしいこれはおかしい
となっちゃうんです。あれはおかしい
これはおかしいという事は、神様の世界には
一つとしてないんですよ、完全ですからね。
ですから、あれはおかしいこれはおかしい、
これは苦しいですよ先生、という時には
こっちへ駆け込んで来ればいい訳なんです。
まだみんな駆け込み方が足りないんです。

 そういう事ですから、若者も老人も
ひっくるめて、生命に素直になって
生きるっていうことは大変なことですけれど、
そこを目指して、光に満ちた人が出来上がって
いくように、こっち側から応援していますから、
そんな風に生きていってもらったらと思います。
posted by spacelight at 23:00| 祈り | 更新情報をチェックする