2015年10月22日

授与された お浄めの印の効果について

 (問)講師、(常任幹事)、フェローにそれぞれ
お浄めの印が授与されており、皆さんから求め
られれば、積極的にお浄めしてお上げなさいと
言われております。お浄めの印をいただいたものは、
神を信じ愛一筋に、その人にかわって祈らせて
いただく限りにおいて、入信10年の人も20年
30年の古い先生方であっても、そのお浄めの効果
には軽重なしというつもりでお浄めさせて
いただいてよろしいですか。私如きがという
気持ちはやめて。


 (答)それでいいんです。印というのは何か
というと、天から流れてくる神様の愛の気という
ものをですね、ある人にはいやしの形で、ある人
には法則の形、又ある人には違う形でその時々に
応じて流すものなんです。それが印なんです。

 今、白光が色々分けてる、フェロー印、
講師(常任幹事)の印、宇宙子科学の印と。何で
分けているかというと、人間というのは本来
一つの神様から流れてきている生命でして、今
あなたが言ったように。本当に真心こめて、神様
お願い致しますと言う時には、皆軽重はないん
ですよ。守護霊さん守護神さんが後ろで働いてね、
こう上にいくんです。それは間違いないんです。

 ただ、印というのは無心に使えば使う程
いいんですが、無心に使おうと思うと、例えば、
印というのはね、私が統一会でこうやってる、
昌美がやってる、あるいは村田さんがやってるのを
見ていると、何か特別なものに皆思うんですよ。
 で、自分があんなに使えるかしらと思うから、
例えば、フェローの印などもらっても、あれは
基本形であって、フェローの変形なんか
あるんですよ本当はね。だけどもらっても、自分は
その印の形を組むだけで精一杯だと思うから
動かないだけでしてね、あれはこちらから
観ていると、肉体的には動かしてないけれども、
霊体はずっと全部動いちゃって、すごく複雑な
印を皆切るんですよ。みんな動かしていない様に
見えるけれど、皆それぞれ個性個性に応じて、
フェローならフェローの800人居たら、
800種類の印がその人の個性に応じて
切れるんです。それは何故切れるかというと、
守護霊守護神が付いていて、その人の世界に
合った、世界に合ったというのは世界が皆違う
というのではなくて、その人の霊界というのかな、
その人が帰る魂のふるさと、そこに応じて、
この人だったらこの天地の住人だから、こういう
印がこの人には一番伝えやすいな流しやすいな
と思うと、上からその気が降りていって、それで
全部が印を切り出すんですよ。

 で、如来印を組んで私を呼んで下さっている
時でも、如来印からずっと如来印の変形が
出来てですね、100人居たら100種類の印で
皆五井先生を呼んで神様を呼んで、一つに流れて
いっているんですよ本当はね。だから、印を
組むも組まないもなくて、これが印ですよと、
はいっといって与えられたら、肉体は動かなく
ても、霊体神体はそれで自由自在に切って
いるんです。そう考えて下すっていいんです。

 ただそれがね、今みんな動かしてもらって
おりますけれど、あれなんていうのもね、今
本部で、ここでやっているようなことをやればね、
ものすごくパニックになりますよ。何故か
というと、生前五井先生や昌美とかね、その人達
だけしか切れないようなものが何で切れるか
ということになって、それだけで真偽どうしようか
ということになって、くだらない話になるんです。
 結局、先程〇〇さんが言った、とっても自分には
まだまだ切れないという想いね、それが一つ邪魔を
しているということとね。霊体は自由自在に切って
いるのに肉体の想いというものは、自分はまだまだ
とか、あの人は偉いとか、とてもあの人には
及ばないとか、そういう余計な想いがあるもん
だから、肉体と霊体が一致しないんですよ。霊体は
自由自在に動いているのに、肉体は中々それに
ついてゆかない。

 だから、肉体と霊体は、自分が本当に使わせて
いただく時というのは、例えば〇〇〇〇ではなく、
つまり神様の愛が流れ込んで、神様の一つの器に
なって、神づまりにつまって、自分が言うんじゃ
なくて、後ろで守護の神霊が言って下さって
いるんだ、五井先生が言って下さっているんだ、
神様が私に言わせて下さってるんだという想いに
なればですね、〇〇〇〇という肉体的な個性とか
肉体の生命とかいうものは越えてしまって、
素直に天から言葉が流れてくるんです。

 言葉というのは神様の光ですからね。本当に
言葉の中に生命があって光があるということに
気がついていれば、みんな喧嘩なんかしなくなるん
ですよね。だけれども、言葉というものは容易に
口から出そうと思えば出てゆきますから、それほど
皆考えずに出していって争いになってゆく訳です。

 とに角、そういう印を組んで、はいやって下さい
という時には、積極的にやっていいんです。その
積極的にやる時には、私がやるんじゃないんだ
という想いでやれば、どんな人でもやっていけるん
ですよね。講師あるいは宇宙子科学が一本指だとか
何だとか、そういうことに決して把われることは
ない訳で、皆一緒なんです本当に。ただその人の
住む世界、その人の魂を支えている世界によって、
霊人の種類が違います。それから、霊人の応援の
種類が違います。ですから、ある人に弁財天が
ついてある人に寿老人がついているというのと
一緒でしてね。守護霊さんの格が上とか下とか
いうのではなくて、その人のこの世の中での
働き、向こうへ行っての働きの違いを現わす
意味で、皆それぞれに分かれているという区分
だけの意味ですよね。

 ですけど、違う働きが全部一つになって、
神様は愛である、神様というのは無限の愛の
ゆるしの方で、我々から見たらあの人に何か
役割があるんだろうかと思われるような人でも、
こちらからは分からないけれども、神様の方
から見れば、大いに用いてゆこうと思って
いらっしゃる訳で、人間が肉体の目から見て、
あの人は役立たずだなあと思っても、神様の側
から見たら、こんなに素晴らしい器はないという
人がある訳なんですよね。決して印なんか
切らなくても、宗教なんか入らなくっても、
目がきれいな人でも口のきけない人でも、何でも
いいんです。何でもいいんですと言ったら
いけないけれども、とに角、その人の想いが
気持ちが心が光り輝いているかいないか、
そこなんですよ。

 だから、印というのもいかに素直になるか
ということ。ただそれだけなんです。印を
切らせていただく時には、その辛い悲しみ
そういう想いを捨ててね、どうにも神様と
呼んでるだけでは駄目です。だから何とか柏手を
打ってお浄めをして下さいという時には、私が
中に入ってますから、その人の天命が完う
されますようにと祈って、そこで柏手を打って
お浄めをしてゆけば、その人自身も空っぽに
なる、打った人自身も浄められるという、両方
いいんです。ですから、軽重なし誰かれなし
と考えて下さればいいんです。たださっきも
言ったように区別はあります。

 しかし、区別というのは、大きな働きを、
大調和という一つの大きな目的の中に、その
流れの中に入れ込む為の仮の区別ですから、
あくまで仮の区別ですから、全く誰がどうの
誰がどう偉いとか、フェローは良くって幹事は
どうのこうのということはありません。全く
ありません。ただ人間というのは、やっぱり
一つずつ段階を踏んで、あなた七年来ましたよ、
この印を上げますよと言っていかないと、
誰も彼も平等ということになれば面白くないし、
人間の癖というか想い癖というか習慣というか、
そういうものを神様はよくご存じですからね。

 そういう人間の人間らしい良いところも悪い
ところもひっくるめて、それをとったら、とに角
人間は一所懸命にならないということをよく
御存じですから、七年経ったらフェローの印を
もらえるんだとかね、くだらないことですけど、
何かそういう目標というものを持たないと。
 実は休んでる時にも休んでいない時にも、
印なんて切り切りに切っているんですよね。
 切りっ放しなんだけど、そんなこと肉体人間は
判りませんからね。で、息をするのと同じように
印を切ってる、印を切ってるということは神様に
想いが流れていると。想いが流れているという
よりも、神様の方から人間に対する想いが来て、
そして、本心の奥の奥の方から神様ありがとう
ございますという流れが想いが、神様の方に
流れ込んでいって、それで生命というものは
成り立っている訳ですからね。

 だから、自分は意識するしないに関わらず、
神仏の光と人間は交流をして生きているものです。
 感謝しながら成り立っているもんですから、
その生命の成り立ちが判ってくると、自然に
祈り心が湧いてくるし、祈りが出てくるし、
あるいは印が組めるようになる。そうなって
ゆくんです。本当に何事にも無駄ということは
ないんです。

 例えば、フェロー印の七年目というのは、七
というのは完全数でしょう。一・三・五・七
というのは全部完全数なんですよ。七というのは
全部の一つのまとめなんです。東洋も西洋も
完全数は七なんですよね。元をたぐってゆけばね。
 七は一つの目標ではあるけれども、それぞれの
霊体幽体神体というものに対しても、完全数に
近づいた所で、一つの神界からのサインというん
ですか、気の流れというものを受けとめる、
あなた器になりましたよという許可が出たことで、
その人の霊位というのか、そういうものを喜んで、
私は一所懸命やりましょうと、本当に輝いて
一段二段と昇るんです。

 そういうことで、神様には無駄がないんですよ。
 全くこんなのはくだらない事じゃないかと
思ってることでも、それは人間の想念の方で
くだらないと思うだけでして、向こう側から
すれば、全く人間というものを深く深く考えて
捉えて、人間がいかにしたら深く愛し合える
ようになるか、赦し合えるようになるか、認め
合えるようになるか、調和できるようになるか
という、そこだけを考えてやっている。それが
すべての現われなんです。
 ですから、不満や不平、不安や怒り、そういう
ものも一体どこから来ているものかということを、
一回考えてみて、とに角祈ってゆくということが
大事だと思います。
posted by spacelight at 09:19| 祈り | 更新情報をチェックする