2015年10月16日

水子供養について

 (問)水子供養とか水子地蔵とかありますが、
最近のお寺のああいうものは、あれでも
浄まるんですか。水子の形をかりた幽界の
感情霊のようなものでしょうか。


 (答)あれはなかなか浄まらないんですが、
なかなかそんなものじゃないんですが、愛念
というものはね。水子供養などが何で
成り立ってゆくかというと、ああ悪いことを
した、生まれてくるべき生命を自分が
絶っちゃったという想いでしょう。それが
ずっと自分の中にたまり過ぎちゃうと、
キリスト教の原罪みたいになって、自分を
責めることになるんだけれど。

 でも、水子というものはないんだといって、
不感性になって、何をしてもいいんだ
ということになったら、これまた人間として
失格な訳です。やっぱり思いやりというのか、
生命に対する極みのない想いというのか、
それを失ったら人間が人間でなくなる
訳ですからね。それが自分の生んだ生命を
絶っちゃった、子供達への素直な愛惜の想い
というものが、こっちから見ていると光の
波になるんですよね。神界から見ているとね。
 それは必要なんです。

 ただ、そういう親の素直なきれいな
気持ちを、この世の中で利用して儲けて
いる人はいる訳で、その人達はその人達で
又ぶつかってどこかで修行しなくては
ならないということはある訳ですから、この
世の中で繁盛しているものが必ずしも真理か
というと、そうではない。真理というものは
もっと別のところにある。そこのところは
分けて考えてあげないと。
 一所懸命そこで素直な気持ちで悪かったと
思って、どんなに商売だけのお寺にしても、
そこに祭ってもらおうと来ているお母さん達の
気持ち、家族の気持ちが本当に澄んで、光の
ようなものであれば、それはお寺を突き抜けて、
守護霊さん守護神さんの手で、ずっと高い所
まで行って清められて光になって還ってます。

 ですから、現象界と霊的なものとの世界の
結びつきというものは、全く違う世界の
有り様(よう)を示している訳で、世の中
こんな商売気だけのものが繁盛しておかしい
じゃないかといって、言ってしまうのも、
これも一刀両断過ぎるところもあるんですよね。
posted by spacelight at 08:40| 祈り | 更新情報をチェックする