2015年10月28日

(白光真宏会)本部に行けない人の救われについて

 (問)本部に行けない人が沢山おられます。
交通費や色んな事情で、でもこれらの人も
同じ救われがあるかという事について、お伺い
致します。


 (答)それはね、何度も話しているように、
人間というのは肉体だけでなく、色んな体を
持っている自由自在身な訳ですから、本部へ
行く人だけが救われて、練成会で徳を積んで
行くかというと、そうじゃないんです。
行きたくてもお金が無い、何万円も出せない、
五井先生すみません、と言って下さる地方の
会員の方というのは、実は自由自在身で
もうとっくの昔に誰よりも早く本部に着いて、
お祈り始めてね、印きって、想いを届かせて
光を届かせてやって下さる訳なんですよ。

 そういう点で観れば、実際に肉体で足を
運んでいる人も運んでいない人も皆一緒で、
同じように修行して、同じように光を受けて、
同じように悩んで苦しんで、一歩ずつ
昇って行く。そういう点で、神様というのは
本当に平等なんですね。
ですから、行かない人は徳が積めないとか、
行かない人は何か疎外されているように思う
とか、そういうことは一切思うこと
ないんですよ。行ける人は、前にも
言ったけれど、行けない人の霊体を
ひっくるめて、全部連れて行っている
と思えばいいんですよ。実際にそうなん
ですからね。
posted by spacelight at 10:27| 祈り | 更新情報をチェックする

2015年10月27日

自殺した人の霊について(子供も含む)

 (問)自殺した人の霊はどうなるか
ということをお教え下さい。


 (答)どこへ行くかということですか。
自殺するって、本当に色んな原因があって、
誰も自殺したくってする人はないんだけれども、
ただ稀に菩薩行で自殺する人があるんですよね。
全部業を引き受けちゃって、そういう自殺の
場合は、自殺しても苦しい世界に行かないん
ですよ。自分が全部引き受けて死にますのでね。 



 (問)子供なんかどうなんですか。自殺
しますが、あれなんかどう解釈したら
いいのか、又、残された遺族の方については。


 (答)あれは本当にね、菩薩行も
あるけれども、あの多くは、何か遊ばれてね、
色んなものにとり憑かれて死んじゃう
という事あるんですよ。つまり、それこそ
幽界の低級霊なんかに憑依されてね、
あるんですね。

 それはその人が、神様を信じないから
良くないとかそんな事私は言うつもりは全く
ないけれど、結局何故そうなるかというと、
親が子供を本当の意味で愛しているか愛して
いないか、つまり、愛情のすれ違いが
あるのかないのか、そういうところなんですよ。
気持ちが通い合っているのかいないのかね。
相手を理解しているのかいないのかという、
そこがすれ違っちゃうと、人間というのは
寂しくなるんですよ。どんな小さな事柄でもね。

 おそらく小学校卒業する位までの子供で、
自殺を考えなかった子供というと、今ほとんど
いない、100人の中99人まで自殺を考えた
という子供が、沢山いるんじゃないかしらね。
それは異常なことだというんじゃなくて、
人間というのは生きてゆく中で、死んで
しまいたいという事が何度も何度もあって
そこを越えて生きて行く訳ですよね。
ところがその子供達の場合は、子供でなくて
いいけれども、自殺してしまう人というのは、
そこのところが自分の心にも歯止めが
効かないし、誰も止めてくれないという
絶望感があって、そこで死んじゃう
訳なんですよ。

 それはその人の因縁とか何とか、宗教的
にみれば前生がどうのこうのとあることは
あるけれども、だけれども、そんなんで
片付けられたんじゃあまりにも寂しいわけ。
それよりは、本当に親が親の役目というか、
親が精一杯子供を向いて、色んな面から子供の
人生を考えて、腹を立てずに見守って、子供は
子供で親にちゃんと伝えてくるのかどうか、
その辺の基本的なところでね、今、親は親に
なってない、子供は子供になっていない、
お互いに影響して非常に悲劇になって
来ていますよね。その辺のところだろう
と思うんですよ。

 だから、想いを放つというか、親が子供に
対して、自分はこれだけお前を見守って
いるんだよという、本当に心配しているんだよ
という、その心が届いていれば子供は
死なない訳ですよ。本当に自分を見守って
くれている人がこの世の中に一人でもいると、
親が駄目なら友達がね、そういう人が居る
と思えば人間というのは死なないんですよね。
自分が必要な存在なんだと思えば
死ねないんですよ。そこのところが皆、今
ぎすぎすして駄目になって来ているでしょう。
ですから、まず子供が子供がと言う前に、
子供がどうやって生きていくか不安だという
前に、じゃあ親はその子供に対して、あるいは
親であることに対して、自信を持っていますか
というね、それぞれがみんな自信を持って
生きるという事に対して援助が足りないん
ですよね。お互いにね。自分のとこだけ
良ければよいという、それだと皆が成り立って
ゆかないんですよね。

 だから私は、私のままでいい、貴女は貴女の
ままでいいから、そのままでいいから一緒に
頑張って行きましょうと。それがお互いに、
ああ私はこれでいいんだなという自信をつけて
ゆくということになりますから。ああ有りの
ままでいいんだなという。
だから、私の言ってる、消えてゆく姿で
世界平和の祈りというのは、その自分なりの
素のまま裸のまま、無一物のまんまでいいから、
後は全部神様が下さるから、そこで人間の
素直な裸の自分を出していく事に恐れないで、
必ず愛情は後にあるんだから恐れないで
という事を言う訳ですよね。

 そういう限定されない神様の愛というものを
皆知っていれば、自殺なんてしないんですよ。
人間の生命が続いていくということを知れば、
本当に死ぬ人なんて一人もいなくなるんですよ。
ですけど、一足跳びに宗教というよりは、
まず現実的に親も子供もそれぞれ現場の中で
ちゃんと生きているか、今どうなっているか、
歪んじゃいないか、その辺の所に目配りして
気配りする人が増えてゆけば、隣の子供が
ああいう風に言っていたが、あれはどうなった
だろうという、その想いをあげてゆけばね、
行動しなくても想うだけでも、その光が届いて
行く訳ですよ。そういうまず、心を豊かにする、
気持ちをやわらかくする、そこから始まって
いかないと、これは救いようがないですよね。
だから、自殺するのはどうしてだろう
というのは、それは寂しくって悲しくって
辛くって仕様がないから、そこでどうしょうも
なくて、自殺しかないんですよね。そこの
孤独地獄から救っていかなきゃいけないん
ですよ、自分も人も。
それには自分が心豊かに生きるというね、
自分だけがいいというんではなしに、自分が
心豊かに生きるということになれば、まわりも
豊かになってゆく。回り道みたいだけれども、
そこから始まってゆかないと、人間が永生で
永遠の生命を持っていて、明るい朗らかな
神様の生命そのものなんだという所までは、
なかなか行かない訳ですよね。

 ですから、あなたのまわりで、そういう風な
気になる子供とか親とかいたら、ほんの
一瞬でいいから想いを放って上げてね、
ああ、あの人も辛いだろうなあと、それだけで
いいんですよ。それがくい止める事に
なるんですよ。生命を救うことになって
いくんです。
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2015年10月26日

入信の表彰について

 (問)入信10年20年30年表彰について
ですが、宗教の世界での表彰ということは
いかなる意味があるのでしょうか。


 (答)まあ人間というのは誉められたら
嬉しくって、貶されたらこの野郎って
想うのが人間でね。ただ一つの、何か
白光なら白光というものを信じて、
おめでとうございますというのは
おかしな話なんですね。
 10年であろうと5年であろうと1年
であろうと、変わりはないんですよ。確かに
変わりはないんです。

 ところが、何か人間というものの性格の中
には、例えば5年とか10年とかいうのは
一つの区切りでしてね。そこで大きな変化が
あっても無くても、人に誉められ
なくてもですよ、そこで10年来たなあとか、
どこかで振り返ると。
例えば、20の人が30になった時にね、
やっぱりああ30になったなあという感慨が
あると思うんですよ。そこでやっぱり
振り返るんですよね。その振り返る時に、
自分の一人だけの想いに浸るとか、自分勝手に
一人よがりに振り返るというのは、なかなか
人間って弱いんですよね。出来にくいんです。
しかも信仰なんていうものは、それぞれ
神様の話をしても、幽体霊体は別として肉体の
世界に生きている我々だったら、色んな生活を
している人がいますし、色んな環境に生まれて
いる人があるから、神様は愛ですよと
言ったって、愛の受けとり方が人によって
違うんですよ。愛ですよと言ったってなあ
と思う人だっているし、そりゃあその通りだ
と思う人だっているし、その人の状況によって
皆違うんですよね。

 それでもみんな、白光はいいなあと信じて
下さって、あるいは他の宗教でもいい
ですけれど、そこで何年か来た時に、自分の
信仰の歩み、自分が神様というものに出会って
何年か来た、そういう事に対する一区切りが
来た時に、こちらの方からああ10年
経ちましたねご苦労様という、あるいは
表彰状は出さないけれども、1年経ちました
ご苦労様、50日経ちましたねご苦労様
というのは、こっちから幾らでも言って
いるんですよ。毎日言っているんですよ。
でもそれで表彰状を出していたら、紙が幾ら
あっても足りません。白光が破産しますからね。
一応5年なり10年なり区切りをつけて
どっかで振り返りたいと思う時に、あんな時に
拍手なんかされたら面映ゆいし気恥ずかしいし、
そんな事いやだと思う人は沢山いるしね、又
そう思う人の中にも、自分なりに10年
振り返り、表彰状をもらわなくても、ああ俺も
10年だなあ、私も10年だなあ20年だ
なんていう人も一杯いると思うんですよ。

 要するに、自分が神様に出会って、その後
どうだったかというのを振り返る場合に、自分
一人で振り返るというより、ああいう中で
皆の中で振り返ると何がいいかというと、皆の
守護霊さんが一緒になって祝福しますからね。
本当にそうなんです。あそこにいる人たち
だけじゃなくて、それこそ白光の一万何千人の
人達の守護霊守護神さんね、その人達の
ご親族や、本当世界人類の守護霊さんが、
良かったですね一区切りですね、〇〇さん
ご苦労様でしたというのを後ろが言うんですね。
後ろが言って励ますというね。それは別に
聖ヶ丘に行かなくても、表彰を出さなくても、
こちらから幾らも言ってますし、あの人は
10年だなあ、この人は20年だなあ、
次の年で10年だなあと判る訳です。こっち
からは。誰かさんみたいに出さなくっても、
あそこに行った人も行かない人も、皆
同じように、守護霊さんが皆寄って良かった
ですねと肩をたたいている訳ですね。

 人間というのは、ああいう中で
拍手されると、ああ自分も来たか、こんな
晴れがましい所だけど、という想いが
湧きあがって、又新たに神様の愛の下
やっていこうという区切りがつきますよね。
そういう意味で、励ますという意味であって、
10年の人を30年の人を特別にして、
その人達だけがおめでとうじゃないんですよ。
一日の人だっておめでとうございます
ですよね。本当にそうなんです。ただ、
そうやっていたら、皆がみんなやっていたら
本当にどうにもならなくなっちゃうんで、
ああいう形にしてありますけどね。
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